Q93.心は分割することができるか?

A.分断脳というケースに似たところがある

 人間の心は一人につき一つでしょうか?
 わたしたちは自分の心を一つのかたまりとして感じることができます。それに対し他人の心は、理解はできるが直接に感じとることはできません。それを自分の心だということはできないので、自分の心とは別のものと考えます。
 一卵性双生児は心がよく似ています。しかし、この場合もやはり心を直接に感じ取ることができないので、心の回転軸が異なり別人です。
 例外と思えるものもあります。多重人格は、それぞれの人格がまるで他人のようにふるまうため一つでないように思えます。近年、いろいろな本で話題の多重人格のしくみについて考えてみましょう。
 まず、多重人格について正しく知る必要があります。多重人格には、記憶の分離が絶対条件です。他の人格のときのことの記憶が思い出せないのです。これがなければ多重人格ではありません。状況に応じてまるで違う人間のごとくふるまうだけでは多重人格ではありません。俳優が多重人格である必要はないのです。
 多重人格者は、無理に思い出そうとしたりすると頭痛を起こしたりします。幼児期の苛酷な恐怖体験のため思い出せないのです。そしてそのことを思い出すと人格が融合され、症状が治癒されると考えられました。思い出せるということは忘れてはいないということです。
 記憶は脳の配線のループ構造です。苛酷な心理的体験も、忘れていないから、そのループ構造は維持されているはずです。しかし思い出そうとすると、激しい頭痛が発生して思い出すのが苦痛になり、思い出せないのです。
 その記憶のループ構造を信号を通過すると、扁桃体から恐怖の信号が過剰に放出され、ループ上の信号の通行を阻害して打ち消してしまうと考えられます。記憶の変換のルートに壁が作られているのです。ニューロンは記憶の一つ一つに対応しているわけではなくその組み合わせが記憶に対応しています。だから一つの壁はそのこと以外のときにも壁としてはたらくのです。
 この壁が記憶の変換を阻害し、脳を部分的にしか使用できなくします。何かのきっかけがあると、壁を乗り越えてまた違った部分だけを使用する状態になると考えられます。
 多重人格者の分割された人格は、ほとんどが不完全なものです。感情が単純であるのが特徴です。非常に怒りっぽかったり、冷静沈着であったり、とても気が小さかったりと一つの感情が突出したキャラクターばかりなのです。人格の多くは一つの感情を中心に作られているのです。感情をつかさどる脳の部分は扁桃体とそこから連絡する前頭葉です。ここに障害があると考えられます。
 何かのきっかけで、扁桃体のある特定の感情に関連する細胞が発火し、活動的になったまま沈静化しなくなる。するとその後はその他の感情に関連する細胞へいく信号もすべてその感情が処理してしまうと考えられます。
 ただし、強力な信号が割り込んできた場合は別です。その他の感情へ行くべき信号が強力であると、その本来の感情の細胞が過剰に活性化し、それまで反応していた細胞は沈黙します。こうして人格が入れ替わるのです。
 エピソード記憶扁桃体を経由するループで作られています。その感情が活動的になったままの間は、その感情に関連する記憶として、その感情に関連するループとして構成されてしまいます。そのときの感情を思い出さずにそのときの記憶を取り出すことはできないので、記憶が分裂してしまうのです。
 幼児期にはシナプスが大量に作られ、不必要な配線がたくさんあります。この時期に強すぎる心理的な負荷がかかると、本来は自然に失われるべき不要な配線が強く結ばれて残ってしまうでしょう。多重人格者には、前頭前野扁桃体へ結ばれる配線が異常に多いままになっているかもしれません。
 感情と記憶の心理学の実験では、記憶したときの気分と同じ気分のときに思い出しやすいことがわかっています。悲しいときに覚えたことは悲しいときに思い出しやすく、いらいらしたときに覚えたことはいらいらしたときに思い出しやすいのです。これが強調され、悲しいときにしか悲しいことを思い出せず、いらいらしたときにしかいらいらしたことを思い出せないのが多重人格と考えられます。
 多重人格者は、扁桃体前頭前野の異常と考えられます。異常のために、脳を部分的にしか使用できなくなるのです。この原理から考えると一度には一つの人格しか現れることはありません。ある人格が他の人格のときのことを覚えていることはあります。頻繁に人格が交替することもあるでしょう。それでも、複数の人格が同時に登場することはできません。多重人格者は、心が分離しているのではなく、状況しだいで心が異常変形するのだといえます。心を入力、変換、出力の三つの部分に分ければ、変換の部分が入力によって変形してしまうのです。
 多重人格は、扁桃体あるいは前頭葉の細胞が過剰に敏感になっており、沈静状態と活動状態の二つしかなく、中間に止まることのできないことによる障害と考えられます。ただし、誰でも幼児虐待されれば多重人格になるわけではなく、もともと遺伝的に感情の種が弱かったことも原因としてあると考えられます。
 心が一つとは思われない例が、もう一つあります。左右脳分断患者です。
 てんかんという病気があります。脳の神経細胞の異常な発火があり、それが脳全体に広まってしまう、ときには命にかかわる病気です。
 その治療の一つとして、左脳と右脳をつなぐ脳梁を分断すると、どちらかに発生したてんかんが反対側に広がらなくてすみ、重大な事態に至らずに沈静するのです。実際にはそれ以上に効果があるようです。
 人間の左の脳は右半身を、右の脳は左半身をつかさどっています。右半身からの情報は左脳に入り、左半身からの情報は右脳に入り、左脳は右半身を行動させ、右脳は左半身を行動させます。
 通常は脳梁によって左右の脳が情報交換するようになっています。しかし脳梁を切った患者ではそれができません。すなわち左右の脳の情報はそれぞれ孤立して交流しなくなるのです。情報の循環は、二つあるといえます。ただし厳密には脳梁以外の部分では連絡が残っているので、この二つの循環は少し合流しています。ほとんど二つに分離しかけているが、完全には分裂してはいない。しかし、限りなく二人の人間に近いのです。
 このとき患者の感覚はどうでしょうか。あなたが患者だとします。分離手術後には、あなたは左右のどちらとなるでしょうか。どちらもあなた自身であり、あなたの記憶をもっています。どちらも意志をもつが、知覚も感情もすべてが別々です。左脳は左手の行動を知覚できません。どちらもあなたの意志を継続してもつが、そのどちらが自分となるのかを考えることができないのです。
 医者から見てみましょう。言語脳は左脳なので、医者が質問すると左脳がほとんど反応します。しかし右脳にも意志があり、左手などを使って反応することができます。
 心の分離は客観的に表すことができますが、分離した心を感じることはできません。心とはいま現在に、過去をつくりながら感じるものであるからです。
 分離後のどちらも自己であり、それでいながらその二つは他人なのです。