Q68.【罪悪感】とは何か?

A.【罪悪感】とは愛の喪失の予感

 罪悪感は、後ろめたい、申し訳無い、すまないともいいます。そして、責任感もこの変形と考えられます。
 罪悪感は、悲しみから予測による分岐をした感情です。
 罪悪感は、愛する人の期待を裏切ってしまったと感じたときに生じます。宗教的な罪悪感も、神と呼ばれる人格の期待を裏切ったと感じることです。
 このとき、裏切ったのは自分の愛する人の期待であって、愛してくれる人の期待ではないので、相互に愛しあっている必要はありません。
 しかし、実際には自分を愛してくれている人を裏切った場合も、たいていは罪悪感が生じます。愛してくれている人に、愛をまったく抱かないことはあまりないからです。
 罪悪感の大きさは、愛の大きさに比例します。より強く愛する人にたいしては大きく罪悪感を感じます。
 罪悪感では、悲しみと恐怖を折衷したような表情をします。これは、相手の援助──すなわち、許しを乞い、かつ服従を示すものです。
 その行動は、謝ることです。「すみません」といいます。強い罪悪感では土下座なども行われます。行動力が低下し、人目を避けます。反省し、原因について思考します。
 また、服従心が高くなります。人の指示に従うことにより、愛を回復しようとします。その場から逃れることができない感じがあり、相手の言葉を待ちます。その後、償いの行動を取りおぎなおうとします。これも、愛の回復を期待するためです。
 また、罪悪感は不快なものですので、犯罪など社会を脅かす行動を抑制する効果もあります。

罪を平気で犯す人はなぜいるのか?
 罪悪感は悲しみから分岐した感情です。
 自分の行動が原因で相手に拒絶されたとき罪悪感が生まれます。子供のころ、何か悪いことをしたとき、母親に「こんなことをする子供はわたしの子供ではない、出て行きなさい」と言われたとします。これらは記憶により固定され、拒絶を生み出した行動に類似する状況を再現すると罪悪感がともなうようになるのです。
 愛する相手を失わないために自己を変えようという感情が罪悪感であり、相手を変えようとするのが嫉妬です。
 罪悪感を感じない人は迷惑ですが、感じやすい人は抑鬱的になります。他人のために常に自分を変えようとしてもできるものではありません。内向的な人は罪悪感を感じやすく、外交的な人は嫉妬を感じやすいといえるかもしれません。
 成長過程で信頼関係、愛をうまく育てることができないと、罪を感じない人間に成長する危険があります。誰にも愛を抱かない人間は、罪をまったく感じず、人を平気で裏切り騙します。信頼関係の希薄な孤立した人間は、その行動に罪悪感が発生しにくく、犯罪を犯しやすいのです。
 犯罪者は、しばしば家庭環境に問題があります。愛を知らないため、失うことへの抵抗がなく、犯罪へのブレーキとならないためなのです。犯罪者を更生させるのに、愛情をもって優しくしなければならない──わたしたちにこうしたことができるでしょうか。
 もちろん、愛情は豊かなのに甘やかされたため罪悪感だけが欠如したタイプもあります。そうした人に愛情を与えても効果はありません。
 区別のカギは嫉妬の気持ちを調べることです。前者は嫉妬も弱いのですが、後者は激しく嫉妬するのです。
 罪悪感は、実際に愛する人の期待を裏切った場合だけでなく、「このままだと期待を裏切ってしまう」という予測でも発生します。これは一般に責任感と呼ばれます。この場合、たいていは愛の行動――人を援助する行動であることが多いため、罪悪感と異なり積極的なものとなります。
 罪悪感は、社会的な悪とは異なります。社会的な悪が、罪悪感として感じられるのは、あなたの愛する人が、社会悪を期待しないからです。人殺しに罪悪感を覚えるのに、戦争で人を殺すのに罪悪感を覚えないのは、それが期待されるためです。