あとがきにかえて

あとがきにかえて

心理学や心についての本を書いているというと必ず受ける質問があります。それは、
 
 人は何のために生きるのか?
 
 です。ほとんどあらゆる人が人生に生き甲斐を必要としますし、特に何かに挫折し失敗し迷ったときこの疑問が頭をもたげるようです。
 こうした問題は古来より科学では答えられず、宗教、思想、哲学などで考察されるものとされてきました。しかし実際には自然科学、特に生物学の観点から答えることができるように思いますので、ここでそれを述べることであとがきにかえたいと思います。
 
 多くの動物は子孫を残すために行動します。繁殖行動するとその後すぐに死んでしまいます。彼らはまさに子孫を残すために生きているわけです。
 哺乳類や鳥類の多くは違います。繁殖し子どもが生まれると、子育てをはじめます。生まれてくる子どもがあまりに無力なので育てなければならないのです。すなわち彼らは子孫を残し子育てするために生きているわけです。その場そのときに集中して生き、生きることを疑問に思うことはありません。
 人類はさらに違いがあります。それは自らの行動を問うようになったことです。人類は環境に依存せずに思考できる能力を持つことで、遠い未来について考えることができ、ついに自分は何のために生きているのかとその目的を問うようになったのです。
 実際、最も人類に似た知力を持つチンパンジーでも、未来について考えることはありません。松沢哲郎『想像するちから』岩波書店(2011)によると、全身麻痺になったチンパンジーは、その絶望的状態においても何ら変化なく行動したとのことです。
 人類のみが自らの存在の目的を問うのです。
 しかし人類も動物ですから、子孫を残し子育てするために生きているという目的そのものは変わりません。すなわち「人は何のために生きるのか?」の答えとして、子孫を残し子育てすることが間違いというわけではなく、それでは足りない、もっと何かがあるはずだと感じるのです。
 それを示す人類と他の動物との重要な違いがあります。他の動物は自らが繁殖能力を失うとすぐに死んでしまうのに対して、人類は繁殖能力を失って自分の子孫を作れなくなっても死なずに長く生きることができるのです。生物として見ても、子孫を残し子育てする以上の能力が与えられているのです。
 人類だけがなぜ繁殖に成功し子どもが巣立っても生きることができるのか。それは知識や文化を伝承することで他の個体の生存を助けることができるからです。先史時代、人類は文字を持たなかったので、老人こそか生きる書物だったわけです。。
 人類は、子孫を残し、子どもを育て、後の世代に役立つものを残すために生きているということができます。
 人類も子どもの頃はチンパンジー同様に、思いのままに生き、ただ自己実現を目指して生きることができます。しかし大人になり親になると、そこに子どものため生きるという目的が追加されます。子どもが巣立つとさらに、社会や人類全体に何かを残し伝えたいと思うのでしょう。もろちん何を残し、何を伝えるかは決まったものはありません。それを発見するのはあなた自身であり、それがあなたに課されたチャレンジであり、それがあなたの人生なのです。
 そしてこれこそ人類としての愛の本質です。男女の愛は交代する母子行動だと述べましたが、それに対して親から子への愛情は一方的なもので、見返りとは釣り合わないものです。親はひたすら与え、子は受け取るだけです。しかしそうした親の愛情を受けた子どももいつかは大人になり、そのとき子どもの頃の思い出を元に、自分の子どもや、次の世代の人たちに愛情をそそぐようになります。
 子育てにおける愛情も他の動物と人類では違います。他の動物がただ本能や感情に従って子どもを見守り、保護し、養育するのに対して、人類はさらに社会で生きていくのに必要な知識や文化も伝えるのです。人類の愛はこうして世代を超えて伝えられていくもの、ただ一方的なのではなく、未来へとひたすらに続くものなのです。それは愛の思い出という宝箱を未来の世代へと譲り渡していくリレーのようなものと言えるでしょう。これこそが人類の歴史なのです。
 私もまたこの本が何か後の世代に役立つものとなり、宝箱に入れる一冊になればと思っています。