Q94.同一人物であるというのはどういうことか?

A.時空間の連続性と記憶の連続性

 私があなたではないことは明確です。しかし、今日の私と明日の私を比べると、記憶は少し違うでしょうし、物質の構成も、空間上の位置も違います。今日の私が明日のあなたへとつながらないのはなぜでしょうか? 明日の朝起きると、私があなたであったりすることはないのでしょうか? 科学が発展すれば、SFのように心が入れ替わったりすることはできないのでしょうか?
 今日の私と10年後の私では、構成する物質はほとんど入れ替わってしまいますし、記憶もかなり違います。どうして、それを同じ私と呼べるのでしょうか?
 さらに記憶で考えてみましょう。
 ある人の記憶をAとBに区分する。記憶Aが失われ記憶Cを獲得する。その後、記憶Bも失われ記憶Dを獲得する。すると、最初の記憶AとBが失われていまい、本人にすら過去の自分がわからなくなる。
 わたしたちはいろいろな事を覚え忘れていきますから、前文の手順の一つ一つは、日常でわたしたちに起こっていることです。
 ちょうどこれは、竜巻を構成する物質がどんどん入れ替わり共通する物質がないのに、竜巻として継続できるのに似ています。
 このように、すべてが違うものになってしまっても同じ私だといえるのはなぜでしょうか?
 このときに考えるべきことは、「今日の私と明日の私の違い」と「今日の私と明日のあなたの違い」を比較することです。
 主観的には、記憶が連続していることにより、昨日の私が今の私へと連続していると感じますし、それにより、今日の私が明日の私へとつながるだろうと感じるわけです。
 客観的に見た場合、すなわち他人を見た場合、空間上で連続していることが挙げられます。もしずっと一緒にいたなら、それが同一人物であると感じるわけです。
 この二つの条件は決して対等ではありません。客観的自己継続──時空間的連続性が、主観的自己継続──記憶連続性に優先されます。
 人間の物質構成をすべて読み取って新たに人間をコピーする機械を考えてみましょう。本人はもちろんそのまま本人が自己を継続し、新しい人が新しい自己として生まれるわけです。コピーされた人間は記憶は連続していますが、時空間的は連続していないので別人とであり、記憶も時空間も連続しているコピー元こそ同一人物であると認定されるわけです。
 現代物理学では、物質は空間の励起状態と考えられています。自己は物質、すなわち空間に依存して、空間の位置として存在しているわけです。
 SFでは再構成転送機というものが登場します。人間が転送機に入るとその物質構成が分解分析され、受け取り側の転送機でその物質構成が再現されるという機械のことです。しかし、これは実はそっくりの別人がつくり出されたに過ぎないのです。
 先に挙げた人間コピー機で、コピーした後でコピー元を殺すとまさしく本人が死んでしまいます。このタイミングをずらしていき、コピーと同時に殺すことにしたものがSFの転送機なのです。転送機に乗ると死んでしまうということがわかります。とはいえ、客観的に別人であることを確認する方法は現場に居合わせる以外ありませんけども。
 この場合、コピーにより生まれた人間にとって、過去にいたコピー元の人間は同一人物です。しかし、過去のコピー元から見れば、コピーにより生まれた人間は他人ということになります。すなわち、未来⇒過去では同一人物であり、過去⇒未来では他人、すなわち、心の同一性は時間軸に非対称なのです。
 では、分解された物質を光速度で輸送し、その物質を受け取って再構成する転送機ではどうでしょうか?
 これなら、物理的因果関係が維持されていますので、自己の継続が可能と考えられます。日常で生活する人間においても、精神システムを構成する物質の位置関係が完璧に変化しないわけではありません。それが極端に変動したものがこの型の転送機と考えられます。ただし、素粒子まで分解する転送機では、同一の自己としては継続できないと考えられます。素粒子には自己同一性がないので、そこまでバラバラにすると継続という意味がなくなるのです。
 私とはまさに因果関係の連鎖そのものということができるでしょう。