Q91.人間の回路とコンピュータの違いとは?

A.感情が一つしかない身体を仮想的に複数にする

 コンピュータに心はあるでしょうか。あるいは、コンピュータは心をもつようになるでしょうか。より正確に言うなら、コンピュータには精神現象が起こっているのか、精神現象を起こすことができるコンピュータを作ることはできるのでしょうか?
 それには現在存在するコンピュータと人間の重要な違いを考える必要があります。
 まず違うのは、コンピュータは解答を一つ出すということです。どんなに複雑な問題でも一直線に計算し、一つの解答を出します。
 それに対して人間は、複数の回答を出します。幽霊らしきものを見ると、恐怖による遠ざかるという解答と、好奇心による近づくという解答が出ます。その結果、おそるおそる近づいたり、近づいたり遠ざかったりうろうろしたりします。人間は矛盾した意図を持ち、それを解決しようとすることができます。
 これは、コンピュータは一つの感情システムしか持たないのにたいし人間は複数の感情システムを持っているといえるでしょう。
 もちろん、一人の人間は一つの身体しか持ちませんから、2つ以上の解答に従うことはできません。そこでそれを比較して1つを選びだす意志のシステムが必要です。行動を定量化して比較するわけです。
 これはどういうことでしょうか?
 まず、ある行動プログラムへ信号を入力したまま実際には行動せずに保留します。またもう一つの行動プログラムに信号を入力しこれも保留します。そしてそれぞれの行動プログラムから未来をシミュレーションし、どのぐらい快適かを判定します。その複数の未来の快適さを比較し、より高い快適さを持つ行動プログラムを選択する──これが意志のはたらきです。
 そして、もう一つ必要なものがあります。それはワーキングメモリです。私たちはある意志による選択をしたとき、どんな選択をしたというだけでなく、どんな選択をしなかったかを述べることができます。意志が排除した敗北した判断を述べるのです。
 “選ぶ”というのは、“何かを選ばない”ということでもあります。そしてそれが何であるか表現するには、何を選ばなかったかが記録されていなければなりません。
 複数の感情からの計算結果が、意志システムによって比較判定され行動が行われた後もしばらくはその計算結果が残存していなくてはなりません。
 すなわち、意志システムと感情システムがある程度独立していなければならないわけです。意志システムが解答を出しても、それとは独立して感情システムは動き続け、自らを主張し続けなければならない。デジタルコンピュータとの決定的な違いは、感情システムは決して計算を終了させることがないということです。休むことなく意志システムに主張し続けるのです。
 脳でいうと、意志システムは大脳基底核帯状回であり、感情システムは感覚連合野扁桃体前頭前野に対応するでしょう。そして、前頭前野−感覚連合野のループ回路が思考、すなわち意識を形成するわけです。
 ではなぜ、この部分こそが意識を形成するのでしょうか? 脳の中にはループする再帰回路はたくさんあります。他の場所にあるループ回路にはなぜ意識が生まれないのか?
 既に述べましたが、線分と円の違いを生むのは、情報循環のサイクルの大きさと環境変化の速度の対応です。すなわち、そのループ回路が接続されている環境が問題になります。ループ回路において循環して変化した信号により、相手が変化しなくてはなりません。とはいえ、もしその接続されている回路が全く同じように変化すれぱ、その回路は同じ回路の一部となってしまい、別の回路ではなくなってしまいます。環境と脳の関係のように、情報量に差のある関係でなくてはならないのです。
 脳の中のループ回路を検証してみましょう。
 視床−大脳皮質のループ回路があります。しかし、これに対応して新しい信号が生まれるということはなく、この回路は脳を同期させるためのクロックのような存在と考えられます。
 海馬−大脳皮質のループ回路では、この信号と同じく対応するものが前頭前野−感覚連合野のループ回路で流れていると考えられ、前頭前野−感覚連合野の延長上の回路として機能していると考えられます。
 そして、本命というべき前頭前野−感覚連合野のループ回路では、その信号変化に応じて、感覚連合野扁桃体前頭前野(感情システム)を動かします。感情の変化を生み出すわけです。そしてその感情によりさらなる思考が生まれるという相乗効果があります。
 思考と環境の間に感情をはさんだところに人間の脳の特徴があります。感情によって矛盾した行動を消去しないで、そのまま保つことができるのです。感情は一つしかない身体を仮想的に複数にするともいえるでしょう。
 対立した感情を処理する、矛盾した意図を持ち続けてその葛藤を解決するコンピュータこそ、人間のような心をもつといえるでしょう。