Q97.自由は何か?

A.自由とは意志の状態のこと

 意志を生み出す過去は、思考のループと行為のループの構造によって伝達されます。ループを作り出すことが記憶の作用で、それはクエーサーから電磁波がわれわれに届くまでの宇宙の旅とイコールです。われわれが存在していると感じるものは、すべて過去のものです。すなわち、すべての過去は確かに存在しているし、意志もまた存在しているのというべきなのです。
 意志は、脳の外にあることになります。だからこそ、故人の意志を継ぐことができるのです。これもまた、意志が肉体の外で別の経路で存在するためです。
 意志は、記憶の構造に今の情報が通過することにより、現在に影響力を行使します。記憶とはループの構造であるから、構造が変化することがあります。過去は変化しないが、過去が現在にアクセスする過程で変化することがある。その変化がしやすい人を、意志が弱いとするのです。
 夢を見ているとき自由意志ではないと感じるのは、覚醒時になってから比較しているからです。夢の中では、過去の影響力が低下しているから意志そのものが弱い。そのため、夢の中で不自由を自覚することはほとんどなく、その中においては自由です。
 薬物中毒の人間がたくさんの誤りを犯し、その後、回復してから考えると、心身喪失状態で意志があるとは考えません。お酒に酔って乱暴をはたらき記憶がなかった場合も、自分の意志だとは思わないのですが、その瞬間は自由にふるまっています。
 このようなときは意志そのものが弱っています。自由で無意志であるといえます。過去が現在へアクセスする方法が失われているため、意志が発揮されないのです。
 自由とは意志の行動の状態といえます。すべての現在の拘束から解き放たれ、意志の力が100%発揮できれば完璧な自由−意志です。意志の力は衰えていなくとも、拘束だらけの社会にいるなら不自由−意志です。睡眠中のように過去の力が衰えていれば、自由−無意志です。拘束だらけの社会で無気力に生きていれば、不自由−無意志です。
 自由についてはたくさんの誤った議論があります。それを見ていきましょう。
 
ラプラスの悪魔
 ラプラスの悪魔とは、宇宙全体の物質の位置を知ることができる存在のことです。
 宇宙にある物質は、物理法則に従って動きます。原理的には、宇宙にあるすべての物質の位置が分かれば、後は物理法則に従って計算することで、その後の未来はどうなるか分かることになります。すると、未来は最初から決まっており、意志によって変えることなどできないのではないか。
 自由とは別の行為も出来たのに、それとは別の行為をしたということ。未来は決まっているのなら、別の行為をする可能性などなく、自由などどこにもないのかという疑問が生まれます。
 
利己的遺伝子
 生物学者リチャード・ドーキンスは、生物は遺伝子の乗り物であると表現しました。そして、多くの動物の行動が遺伝子が子孫を残すための行動であることを示しました。では、あなたの意志で行動したと思っていてもそれは遺伝子によって決められた行動ではないか、あなたの意志による行動などないのではないか。

ユーザイリュージョン
 脳の研究により、人間は何か行動しようとするとき、その意図よりも早く脳に反応が現れることがわかりました。意志があってそれにより行動するより、脳が先に動いている。すると、脳が動いてそれにより意志が生まれているというべきで、自由意志とは脳が生み出す幻覚ではないのか。

 これらの議論は、私たちが意志や自由という言葉を使うときに何を指しているのかを、よく考えていないことから来る誤解です。意志とは、過去の情報であり、宇宙の物質配列のある特定部分のことです。
 意志によって変えるというとき、意志と変えられる対象の2つがあります。しかし、宇宙全体を考えた場合、そこには意志も対象も含まれているのですから、変えることができずに決まっているのは当然のことです。
 遺伝子は、人間の行動に大きな影響を与えますが、あくまでも一部しか説明できません。また、遺伝子は、意志のある部分を作り出す部分でもあります。このとき、遺伝子が意志を経由して行動するのですから、これは意志による行動ということになります。
 意志を意識するより早く脳は反応します。しかし、その反応は無から生まれたのでしょうか。
 もちろんそうではなく、実験をする人からの指示があったわけです。その指示も、それを考えた出来事があったはずです。こうして、意志を生み出す部分を探していくと、永遠に遡り続けることができます。原理的にはビッグバンまで行き着くことになります。
 こうした過去の事象こそが意志なのです。これが理解しにくいのは、意志は脳や自分の身体の中にないとおかしいという思い込みのためです。
 しかし、これらの意志を構成する連鎖すべて過去のことであり現在には存在していません。存在していないものを身体にある/ないで判断するのはおかしなことです。
 自由意志を、三次元的な意味で存在するのだとすると、その自由意志が選択するためものが必要となり、するとまた自由意志が必要となります。自由意志という概念は、三次元の世界ではとらえることのできないものです。無限後退する小人の問題は、自由意志を三次元に適用することにより生まれるのです。これを解決するには、円を描いて繰り返すシステムでなければならないのです。
 これは、心という4次元構造体を3次元に描こうとする誤りなのです。
 さらにこうした、誤解のために一部の科学者は奇妙な議論を重ねて生み出します。それが量子脳理論です。
 意志の自由さを、量子の不確定さに求めて考えたのです。決定論だと自由意志はないという誤解から非決定論にすれば自由意志を救い出すことができると考えたわけです。脳の部分の中に量子効果を求めることで、意志の在処を探そうとしました。
 しかし、この考えの問題は、ランダムは意志と相容れないものだということです。ランダムとは不確定ということであり、過去と現在が断絶しているということです。脳にランダムがあれば、ただでたらめになるというだけで、意志には結びつきません。意志で行動するとき、意志と行動に因果関係が生まれます。意志と行動の関係は決定論でなければならないのです。
 それなのにそこにランダムを持ち込めば、意志と行動は切断され、人間の行動はただランダムになってしまうというだけのことなのです。