Q83.脳はなぜ生まれたか?

A.時間を利用する反応回路が必要になったため

 脳と心の謎を考えるのに有効なのが、歴史の連続性を考える方法です。進化の歴史を追うことで、どのような変化が可能を考えると、自ずからわかることがたくさんあります。進化は漸進的――一歩一歩の小さな変化の積み重ねで進みます。一気に大きな変化が必要なしくみは作ることができないため、脳に可能な構造は限られているのです。脳のような複雑な器官はどのように進化したのか、人間の脳までの生命の設計を考えてみましょう。
 生命の最も単純なものである、単細胞生物やウイルスとかに心はあるでしょうか。生きているものすべてに心を認めるという人も多いと思います。
 しかしそうした細菌やウイルスは、人体にもいます。また人間の体の一部分づつ、例えば赤血球などはかなり細菌的です。人間の体に、心がたくさんまとわりついていると考えるのは不自然です。単細胞生物やウイルスには心はないと考えてよいでしょう。細胞レベルの行動も複雑ですが、心ではなく化学反応の範囲内に思われます。これは心というより命というべきものと考えられます。
 単細胞生物から多細胞生物が生まれると、細胞ごとに役割分担するようになります。そして、その多細胞動物に神経細胞というものが現れます。
 まず、外の情報を受け取る感覚細胞ができます。その細胞は、化学物質を分泌することにより筋細胞に指令を送りました。次に、その感覚細胞は、より選択的に筋細胞に指令を送るため、細長くなって筋細胞のすぐ横で化学物質を分泌するようになりました。最初の神経細胞です。
 最も簡単な神経細胞をもつ動物にイソギンチャクがあります。イソギンチャクには刺激を受ける感覚細胞と反応する筋細胞があり、その間を神経細胞が連絡しています。
 動物は食物に近づき外敵からは遠ざかる必要があります。多細胞の動物では、神経細胞は、目や耳のような情報器官から筋肉のような運動器官へ情報を伝達する役目をもっています。
 脳とは神経の束です。その最も原始的な形が、感覚細胞、神経細胞、筋細胞との組み合わせです。この組み合わせの数を複雑にしていくと脳となります。
 動物の体の大きさは有限ですが、その外側の環境は無限の大きさがあります。環境の変化の数と、動物に可能な反応の数には大きな差があります。環境に対応するには無限の変化を分類して少ない行動に割り当てなければなりません。
 動物の行動を増やすには時間を利用するのが有効です。一つの反応で対応するのでなく組み合わせて行動するのです。それには神経細胞の連結の長さを長くして時間差で反応するようにするのがよいでしょう。あるいは、神経細胞が合流したり分岐したりするようにすれば、もっと複雑な行動がとれます。
 これが、細い神経が膨らみ、脳へと向かう第一歩なのです。
 こうした神経細胞は、最初のころ、遺伝的に決まった通りに並び信号を送るだけでした。ところがあるとき、実際の環境に応じて信号の流れやすさを変化させて記憶するようになりました。環境からの信号を感覚細胞が入力し、神経細胞が記憶し、筋細胞により出力するようになったのです。
 筋細胞は動物を動かし環境に作用します。当然、環境は変化します。環境が変化すれば、感覚細胞への入力も変化します。そして神経細胞も記憶により変化します。これは循環して繰り返されます。ここには情報の循環ループがあるのです。
 これが生命としての意識回路、行為のループの誕生です。
 さらに、神経細胞のふくらみがあるとき発明的な構造をもつようになります。運動器官へ送る手前で反転して、信号を入力し直したのです。ループ状に循環するルートができたのです。人間の脳でいえば感覚連合野前頭前野の思考のループです。
 このループ上の構造により情報を何回も変換することが可能になりました。そしてこれにより、それまでは環境に応じて記憶が作られたのにたいして、環境から独立して記憶を取り出すことができるようになりました。すなわち、環境を介在したループが脳の中でのループへと置き換えられるようになったのです。
 これが精神としての意識回路、思考のループと考えられます。