Q75.【喜び】とは何か?

A.【喜び】は自己成功のアピール

 希望から状況による分岐をした感情に喜び(嬉しさ)があります。希望によって予想された快適な状況が達成されたとき、喜びが生まれます。
 予測が自らの望む方向へ的中すると喜びを感じます。頭の中で予想した仮想世界と現実世界が一致することによります。目標を達成すると喜ぶのです。
 野球でサヨナラホームランを打ったときの選手たちのたたき合い、ペナントレース優勝チームのビールかけ、サッカーでゴールを決めた選手の表現、試験の合格発表での跳び上がっての喜び、ガッツポーズやバンザイなどが、喜びの行動です。全身が緊張し声を上げたりするなど激しく興奮します。体と精神のエネルギーがあふれ出して表現するのが喜びです。まさに、狂喜乱舞することこそ喜びの極限といえるでしょう。
 予測しなかった喜びというものはありません。考えたこともないことの実現は、いくら本人に有利でも喜びをもたらしません。喜びは自己の能力のアピールのため、自己の能力と認識できるものでないと喜ばないのです。ただし、人間はいろいろなことを考えるため、考えたこともないことはほとんどありません。そのこと自体は考えたことがなくとも、そのことによる結果は考えたことがあり、喜ぶことが多いのです。
 たとえば、道路でトランクを拾い、その中に一億円詰まっていたとしたら、その瞬間は喜ぶことはなく、戸惑うだけです。しかし、その後、謝礼などでお金が入り裕福になったとき喜ぶでしょう。
 喜びが極限になると泣き出すこともあります。喜ぶべき状況が感覚連合野で認識され、それが運動連合野に送られて何か行動プログラムを生み出そうとします。このとき、喜びが大きすぎてそれを消化するのに十分な行動のプログラムを生み出すことができないと、泣いて喜ぶことになります。
 さて、どうしてこんなふうに喜んだりするのか、考えてみると奇怪な行動です。しかしこれも進化を考えることで解くことができます。
 喜びの行動は、自己の成功を仲間にアピールする行動なのです。自分は有能だと主張し、社会における自己の地位の上昇を要求しているのです。原始時代には、獲物を自ら捕らえたとき狩猟の成功をアピールし、他人の尊重を勝ち取っていたと考えられます。
 そのため、喜びのポーズは男性において顕著であると考えられます。スポーツ選手のガッツポーズというと男性のものばかり思い浮かびますが、これは偶然ではないのです。
 和を貴ぶ日本では、喜びは隠される傾向にあります。相撲、将棋、囲碁の勝者は決して喜びを表には出さないのです。他人を押しのけることを嫌うためです。
 こうした喜びは快感であるので、現在の行動の継続、再実行へと導きます。これにより希望の達成への努力を強くすることができます。
 また、人間には共感能力があるので、自己同一視できる人の喜びは、自分の喜びにもなります。愛する人の喜びは自分の喜びとなるのです。そして、肯定的な感情がまわりに伝染することが社会的きずなを強めます。みんなで喜びを分かちあうことにより、団結力が増すのです。
 喜びは進化においてもかなり後に生まれた感情です。喜びは周囲へのアピールですから、集団行動する動物にしか存在しないでしょう。また、予測できなければならないので、知性も必要で、類人猿だけにしかないのではないでしょうか。
 たとえば、チンパンジーは果実を発見すると気違いじみた叫びをあげます。発見の喜びであると考えられています。

懐かしさとは何か?
 喜びのメカニズムは、いろいろな特殊な状況を生み出します。
 一つは、喜びのシステムのおまけというべき、懐かしさです。
 子供のころなどを思い出すことにより、私たちは懐かしさを感じます。これはかつての良い思い出と現在の状況が一致する、喜びのシステムによって生まれるのです。未来予想でなく、過去の想起によることが喜びとの違いです。
 仲の良かった幼なじみの友人に再会したり、あるいは思い出の品物などが懐かしさを生みます。その懐かしさによる一致はそれほど強くないので、懐かしさの行動もまた喜びのやや弱いものとなります。
 学生時代に単に知り合いだっただけで、特に親密というわけでもなかった男女が、社会人になり再会すると、恋に落ちることがあります。これは懐かしさの喜びが作用して二人の関係を強くしたと考えられます。