Q27.科学とは何か?

A.一段階の還元と検証可能性こそが科学

 科学の思考法には大きく二つの特徴があります。それが還元主義と検証可能性です。
 還元主義とは、その構造を求める方法です。科学では対象の中の構造がどうなっているのかを重視するのです。物理学が分子、原子、素粒子とより小さなものを求めて研究を進めていくことで発展しました。構造を知ることで、その法則を知り未来を予測できるからです。
 還元主義というと、時に批判的な言葉として使われるようです。しかし、生物学者にして科学史家であるスティーブン・ジェイ・グルードは、自ら誇りをもって還元主義者であると宣言しています。自然科学者たちは反論しないものの、還元主義は当然のことであると考えています。
 医学の歴史を見てみましょう。医学の発展は、解剖学とともに発展しました。解剖学的知識なしの医学はほとんど無力でした。解剖する、すなわち還元主義こそが医学を発展させたのです。
 どうやら還元主義批判には、誤解があるようです。批判されているのは、学問の縦割り状態のことが一つ、もう一つは段階をとばした還元のことです。
 学問の高度化、専門化とともに、学者は自分の学問以外のことがまるでわからなくなり、またその学問内部でしか通用しない言葉が多くなってしまいました。そのため、他の学問との関連が見えず、総合的に見ることができなくなっているのです。
 もう一つが、還元の段階の問題です。学問は扱う対象の細かさで分けることができます。分析するとき、一段階だけ小さく還元することができます。すなわち、物理学・化学は、論理学と数学により説明され、生物学と医学は物理学と化学で説明され、心理学と言語学は生物学と医学で説明され、経済学は心理学と言語学により説明され、歴史学社会学により説明されます。
 もちろん、それぞれの研究者たちには、学問の自立性を述べ還元などする必要がないという人もいます。しかし、それでは真の意味の検証ができません。反証のできる理論を構成するには還元が不可欠なのです。
 社会学である理論が仮説されたとします。社会学の研究としてデータを取り、それが帰納的統計的に証明されたとしましょう。しかしそれだけでは、その理論がなぜ生じるのかを説明することができません。その理論が正しいことを証明できても、ただそれだけです。帰納的統計的な証明は、いまそのとき正しいというだけで、状況や環境が変わっても正しいという証明にはなりません。理論の適応範囲を設定できないのです。適応範囲を知るには、ただひたすらしらみつぶしに証明していくだけになってしまいます。
 その不毛さを回避するには、一段階の還元を行い、その理論の構造をとらえるしかないのです。
 ここで問題なのが、還元は一段階しか通用しないということです。脳科学者が社会問題を論じるとき、社会問題を脳――すなわち生物学レベルで説明することがあります。この場合、中間にある心理学段階がとばされています。これが問題となります。あるいは、生物学者が社会問題を論じるときにも同じ誤りを犯しているものがあります。
 最近では、脳科学によって社会現象を説明することがあります。しかし脳科学は心理学を構成しますが、社会学を直接構成することはできません。脳科学で理論を構成したものは心理学を予測でき、心理学により検証できますが、社会学には結びつきません。そのため、心理学レベルで既に否定されていることを平気で述べたりするわけです。
 近年、行動経済学というジャンルが有名になりつつあります。経済学にその構造となる心理学の知見を組み込んだ学問として有望視されています。行動経済学では一段階の還元の威力がはっきりわかります。
 科学思考でもう一つ不可欠なのが検証可能性です。それが本当に正しいのか確認できることです。正しさが確認できなければ、論理思考のサイクルを機能させることができず、そこで思考が止まってしまい、科学の持つ発展性が失われます。
 間違っている可能性があり、常に更新されるのが科学なのです。
 どんなに優れた思想でもそれが絶対に正しくて変更できなければ科学ではありません。宗教は教祖の言葉が絶対ですから、科学と相い入れる余地はありません。
 科学は仮説設定と検証のサイクルを持ち、歴史の蓄積とともに発達していきます。哲学や宗教では人名がつくことがあります。キリスト教、カントの哲学など。それに対して科学はただ科学であり、ニュートンの科学やアインシュタインの科学というものはありません。科学は人類全体の知恵なのです。
 民主主義と科学と相性がよいのもそのためです。民主主義の国ほど科学発展に有利なのです。民主主義ではない国においては、先行理論が権威化して、訂正が困難になることがしばしばあります。旧ソ連におけるルイセンコの遺伝理論などはその実例で科学の進展を大いに妨げました。また現在の中国の理系最高の大学である精華大学においても、大学院に進んだ学生の9割はアメリカに出てしまっています。中国では十分な科学研究ができないと感じているからです。