Q19.言語の音は聞き取ることができるか?

A.音声ではなく口の動きを感じ取る

 運動イメージ――体の動く感じをとらえることは、単語の意味を正しく理解するだけにとどまりません。リスニングにも大きく影響します。
 英語の発音でよく言われるのが、実際の発音はテープやCDにあるようなものとは違うという指摘です。発音記号などから推測される音と違うわけです。教材のようにゆっくり話すと発音記号通りの音が聞こえますが、日常の会話では違うわけです。そこで、古いカタカナ語の発音の方が近いと主張する人もいます。
 しかし、ここには重大な勘違いが含まれています。これは正しく発音できないから違うように聞こえるだけのことなのです。
 日常速度の発音と教材の丁寧ゆっくりな発音は、確かに音声としては異なります。しかし発音は同じなのです。私たち日本人が日常で会話するときと、丁寧に文章を読み上げるとき、違う発音をしているという意識はないでしょう。それは英語圏の人でも同じことです。速く話すとき、発音の仕方についての意識はそのままでスピードを速くします。
 これはどういうことでしょうか。それは、私たちは音そのものを聞き分けているのではないということです。音ではなく、発音の仕方を聞き分けているのです。音を聞いたとき、その音を出すためののどや口の動きを感じ取って聞き分けているのです。母国語の話者がゆっくりでも日常速度でも同じと感じるのは、音としては違っても発音としては同じだからです。
 音を聞き分けるというのは、いろいろな音を分類するということです。日本人が“あ”と発音する場合でも、個人差がありますし、そのときどきで微妙に異なった音になっています。こうした音を似ているもの同士をまとめて分類するわけです。
 しかし、そもそも音を分類するのに音を基準するのは困難です。“あいうえお”という5つの音を3つの音で表現する言語があったとした場合、どれとどれが似ているとまとめるのでしょうか?
 ネイティヴスピーカーは、これを発音の仕方、口やのどの動きの類似性で分類しているのです。自分の運動感覚と音を結びつけて分類しているわけです。音の違いより動きの違いの方がはっきりとしているからです。
 これを実際に示した実験もあります。
 心理学者のレオンチェフは、中国語のような声調言語の聞き分けをどうすればできるようになるかの実験を行いました。どうしても中国語の声調を区別できない被験者にいろいろな方法を試したのです。その結果わかったことは、聞いた音に合わせて発音する経験を与えると聞き分けられることでした。発音すれば聞き分けられるようになったのです。
 Michaelという人が、日本人に“マイケル”と呼びかけられても、自分のことだと気づかないといいます。英語の“Michael”は、1音節なのに、日本語“マイケル”は4音節もあります。同じ音を聞いてもこういう違いが出てしまう。これは、英語の発声法で分類するか日本語の発声法で分類するかの違いなのです。
 自分で発音できない音を聞いても、そこから発音の動きを感じ取ることはできません。英語の音を聞くことはできても、英語の発音は聞き分けることができないわけです。音を聞き分けるためのモノサシがないのです。正しく発音できないと、英語を正しく聞き分けるための英語のモノサシを持つことができないのです。
 知覚心理学者のギブソンは、我々の感じ取るものは対象ではなく自分自身の行為であると考え、それをアフォーダンスと呼びました。LとRを区別できる人は、Lを聞いたときはLの発音のアフォーダンスを感じ取り、Rを聞いたときはRの発音のアフォーダンスを感じているのです。それに対して英語発音のできない日本人はラ行のアフォーダンスを感じているわけです。
 ではどのようにして、ネイティブはアフォーダンスを獲得してるのでしょうか。
 それは試行錯誤によります。聞いた音を真似ようとしていろいろな発音を偶然的に試し、類似する音が出たときの運動感覚――アフォーダンスを覚えるのです。
 英語では、速く話すことで音が連結して変わることがあります。リエゾンといいます。しかし、そのとき話している本人には別の発音をしているという意識はありません。これも運動としては同じだからです。韓国語のリエゾンも強力ですが、音が変化しますが、これも同じ理由で、当人にとっては違う音という意識はありません。
 日本語の場合もあります。案内(アンナイ)の“ン”と案外(アンガイ)と“ン”は、音声を調べると全く異なる音ですが、私たちは同じ音だと認識しています。実際に口の形を意識すると、案内は舌が上に着いているのに対し、案外は舌が離れていて、全く別の音なのに気づきます。しかしその二つを“ン”という一種類の動きと認識しているため同じに聞こえるのです。
 では、外国語の音を聞き分けるにはどうすればよいか?
 たとえば、日本人の苦手なLのRの二つの音を聞き分けるとします。これも連続して聞けば、誰でも違うことがわかります。ところが、単独でLだけ、Rだけを聞くと、それがLかRか判断するのが難しくなります。音の判断には比較するものが必要だからです。LかRか判断できるようになるには、LとRを心の中で発音できなければなりません。英語音のモノサシが必要なわけです。
 頭の中でLとRを直接比較できればよいのですが、それはうまくいきません。というのも、記憶は2つの事柄の結びつきだからです。もし、Lの音とLの文字、Rの音とRの文字を組み合わせようとすると、それは聴覚連合野と視覚連合野との組み合わせとなります。これは脳の入力と入力を組み合わせようとすることになります。ところが、脳は本来、入力を出力に変換するシステムで、それに出力から入力への逆行ルートを付け加えたものです。入力から入力へのルートは、入力を出力に変換してそれから入力へ返すルートが短縮されることによって作られるものです。すなわち、入力と入力の組み合わせを直接作り出すのは困難なのです。
 また、思考は前頭葉と感覚連合野との循環です。音を聞き文字を見るだけでは、前頭葉に届かないため思考が循環せず、脳がはたらかないのです。言えない音は聞こえにくいという原則があるのです。
 脳の活動を計測した結果でも、英語の子音を聞き分けようとするとブローカ野が反応するという実験結果が出ています。ブローカ野は、発声器官の運動プログラムを作る部分なのです。これは音の聞き分けに運動イメージを使っていることを示しています。
 そのため日常会話の音は聞き取ることができず、教材のきれいな発音は本物とは違うといった勘違いが生まれることになります。そして、それを違う音として理解しても、そもそも違う音に聞こえること自体が間違いですから役には立たないでしょう。
 本物のリスニング力には、正しく発音する能力が不可欠なのです。